彼のいう共時律つまりシンクロニシティという理論は《易》がルーツであることがわかる。
smooth wallsにおいては陰(凹)をpointed roofにおいては陽(凸)をイメージしているのが読み取れる。共時律つまり類する物同士の対応関係、これが所謂「帰経理論」(臓腑経絡のターゲティング理論)にも通じている。
『方以類聚,物以群分,吉凶生矣。』《易・繫辭上》
所謂『同氣相求』,吉凶謂之得失。「処方」のルーツである。中医学における薬理は因果律というよりも共時律に基づくものである。
現代中医学の問題点
以下は河北医科大学の癌治療の専門家、劉保和教授の論文から抜粋したものである。2012年のものだ。
「ここまでお話しした所で、葉氏の「絡病」治療法及び「通補奇経」方法の評価についても話してみよう。上述した葉氏の理論はすでに伝統的かつ元来の中医辨証論治のレベルを大きく前進させたことはまず間違いない。それは一つの偉大な革新であった。臨床における実践からわかることは、葉氏の方法を運用することで、確かに以前それほど治療の手応えを得られなかった難度の高い病証に対して、比較的良好な効果を得ることはできている。だが、葉氏の理論にも、はっきりとした欠陥が存在している。中でも主要なものが、ピンポイントで奇経と奇恒之府の深みまで入る薬が欠乏しているということである。葉氏が用いている所の薬物は、基本的に臓腑疾病、六経疾病、衛氣営血疾病、以上を治療する薬物と基本的に明確な区別がないのである。このことも、徐霊胎が葉氏理論に異議を唱える原因の一つとなっている。
また、まさにこのことのために、悪性腫瘍の類を含めた難度の高い病証に対して、葉氏の方法を運用したとしても、依然として根本的かつ網羅的な効果を得ることができていない。そのため、真に奇恒之府、奇経八脈、そして精、これら深層部位にまで入ることのできる薬物を探すのは、目下中医学における緊急課題である。ここにしっかりと目標を定めることで、初めて中医学術も根本的な突破を得ることができる。それは実質上の技術革新となるだろう。」
10年が過ぎた。
本講座の目的とその構成
あなたに最短で中医学の最先端理論にまで到達してもらうことが目的である。その構成は以下となっている。
1、総論(理論編):黄帝内経の奥秘
2、各論(実践編):その奥秘の実践(葉天士、王旭高、程門雪、劉保和の症例研究)
以上、総論と各論は大学での授業がベースとなっている劉保和教授による講義録である。それを弟子としての私が日本語訳した。254ページに及ぶ。 そのすべてのページについて、訳者自身で動画解説を付与した(30時間)。254ページに渡って、1ページごと、その背景にある考え方、 基礎理論や言葉使いに至るまで、小学生でもわかる程に落とし込んだ詳細な説明を行った。
また、劉老師のいう「深層部位にまで入ることのできる薬物」は私の研究分野でもあり、それについても動画解説の中でお話ししている。
劉保和教授のプロフィール
講義録執筆者:劉保和教授。1941年生まれ、河北医科大学教授、主任医師。第五期全国老中医専門家学術経験継承指導老師。中医学臨床実務に携わって60年。1962年河北中医学院本科を卒業、1980年全国第一期北京中医薬大学中医学修士課程卒。
人体氣運動基本模式とは、「枢軸—輪周—輻網」が協調しながら運行する円運動であるという理論を提出。脈診と腹診に長け、方剤を運用するには「主症」を掴む必要があると考える。
『「主症をつかむ」ことの臨床における応用は、主に方剤の運用上に現れてくる。効果ある各方剤には一つから三つの主症が対応していなければならない。ところで、よく見かけることだが、方剤学の教科書には一つの方剤につき主治部分に少なくとも四五個の症状、多い場合は七八個、更には十個以上の症状が羅列されている。よくこの方剤とあの方剤は主治症状が同じであるため、そのことが医師に臨床上で、各方剤を区別して使用することを困難にさせ、そのため、期待する治療効果が得られないという問題である。しかしながら、各方剤の本質となっている主症を見極め、その本質に基づいて区別すれば、各方剤間で重複している多数の派生的な主治症状も理解することができる。』
目下、癌治療の研究に重点的に携わり、一般的な所謂「抗癌」の中医薬は使用せず、張仲景《金匱要略》における『大氣一轉,其氣乃散』理論のもと、氣の円運動を周す陰陽昇降の方法を採用。各種、中、末期癌に対して、中医薬のみの使用で良好な効果を得ている。
申込
この講座にはもう一つの目的がある。劉老師の技を継承していただく日本人の仲間を見つけることである。 大陸においては、医師同士の競争が激しく、劉老師もその技の全貌を公開するということはしていない。
日本であれば話は別だ。日本にいながらにして、大陸では中医界隈では知らない人はいない海外からも患者がやってくる名(明)老中医師の技の本質を継承する 機会を得ることができるというのは非常に希少性が高いことである。極めて希少性の高い中国実地研修を日本にいながら受けるようなものだ。
劉老師はこういっている。「私がついて学んだ老師の中で、誰一人として主症を教えてくれたことはなかった。張仲景ですらそれを隠している。中国には昔からそういった秘密主義なところがある。論文とは書かざるをえない状況下で書くものだ。」(主症とはいわば絶技である。何故なら、それを知るとその方剤を使いこなせるようになるからだ。上記動画の中でも主症は使われている。蓋を開けてみると実にシンプルである)
すでに劉老師には傷寒論と金匱要略に記載されている方剤の主症を公開していただく約束もしている。 一定人数の仲間が集まれば、その講座の公開も可能となる。それが公開されると日本漢方は大きな転換点を迎えると考えている。したがって、本講座では知り合いの方とご一緒に受講 いただく場合は半額とした。以後のご紹介による受講者も同様。もしあなたのお知り合いにお心あたりがある方がいれば、お誘いあわせの上、お申込いただければ幸いである。
講座内容:黄帝内経の奥秘を体得することとその実践〜そして中医学の最先端へ〜
劉保和教授執筆テキスト(日本語訳済)254ページ
テキスト対応の訳者自身によるすべてのページに渡る動画解説30時間
受講料は仲間集めも目的であるから97000円→29700円。更に共同受講、ご紹介による受講の場合は29700円→15000円とした。宴会に行くようなものだ。
*当サイトはプライバシー保護のためSSL暗号化通信を使用しています。
Q&A
Q:講座はどのように配信されるのでしょうか。
A:254ページのテキストはあなたご指定の住所へ送付、テキスト対応の30時間動画解説は会員制ブログの方で
スマホ等でいつでもどこでもご覧いただけます。
Q:知り合いと共同受講した場合、皆半額になるのでしょうか。
A:はい。
Q:まずは自分一人で受講し、後日紹介したい人が出てきた場合、どうなるのでしょうか。
A:お礼として半額をあなたにも返金したいところですが、そうなると管理が難しくなります。
したがって、その際は、ご紹介いただいた受講者のみ半額とさせていただき、お礼とさせて下さい。
受講までの流れ
1、フォームに必要事項を記入して送信ボタンを押します。
2、私にそのフォームに記載されたメールが届きます。
3、私からあなたのメールに返信いたします。
4、入金
5、テキストをご指定の住所へ送付、また30時間動画解説のある会員制ブログへご案内。
受講者の声(あなたもご感想を是非お寄せいただきたい。)
「以前から疑問に思っていたことが理解できるようになってすごい良書に巡り会えたと喜んでいます。」
この方はテキストのみ購入された方である。そのほか、国際中医師の資格を持っている方等も理解が深く非常に喜んでいただいている。訳者としてはテキストのみでもかなりわかりやすく訳したつもりだったが、 それでもやはり最後まで読み通していない(実にもったいない)受講者がいたのも事実である。
そのため、もっとわかりやすく誰でも初学者でも小学生でも理解でき、確実に読み通せるよう30時間の動画解説を作ったわけである(また私の研究成果も成熟してきており、そろそろ世に出してもいい頃だと判断した)。絵本を読み聞かされるように どんどん理解、中医学の面白さを味わっていただけると幸いである。解説つきのオーディオブックとでも思っていただけるといいだろう。その知的 刺激と体験はあなたの医学と健康という概念に対する見方を根本から大きく変えることになるかもしれない(私自身、劉老師から受けた恩がそれである)。知的情熱もより一層呼び覚すことになるだろう。その帰結といえば、詰まる所、患者さんの喜びである。それ以外ないだろう。
受講をお断りさせていただく方
『三人行,必有我師焉。』《論語・述而》
謙虚さがなく、無知の自覚がない方。自身の無知の部分を自覚するから、その暗闇を知で照らすことになる。 そして、星の光となっていく。その帰結もまた患者の喜びである。一個人の時間は有限である。従って無知は恥ずべきことではなく、照らすべきことだ。補い合う必要があるわけだ。わたしもまたあなたから学ぶことがあるだろう。お互い様である。
訳者プロフィール
阿部芳久。河北医科大学卒。大学三年の時、自前の気功で体調を崩し、劉老師に治療を受ける。その際、「君の中国語力はすごい。苦労したはずだ。魯迅は仙台で日本人に助けてもらった。私も君を助けようと思う。私と一緒に勉強しないか。」とのお誘いを受け、劉保和老師に師事。以来、ご指導を賜る。写真左は兄弟子、元西洋医、薬局経営者。中医学の面白さにのめり込んでいる。中央は劉老師の息子さん。純粋陰陽五行概念の図式は、この時の食事の際に描いていただいたものである。
あとがき〜誰そ彼〜
食事をするとき、友人と飲まない限り、友達は決まって古典の中の古代人。 中医大に通っていた5年間いつもこんな感じだった。歩きながら本を片手に読む、いつも奇異な男が歩いていると周りの先生、中国人は思っていたようだ。 だが、私は大いに幸せを感じていた。中医学という肉体についての自然界の法を学ぶことで、更に、それを使って自然界の現象も解釈できてしまう、その大らかさに。 中医学、それは勉強というよりも、すでに道楽。1日15時間勉強してもなんら苦痛には感じなかった。
『知之者不如好之者,好之者不如樂之者。』《論語・雍也》
※A不如B:AはBに如かず、つまり、A<B
文官だと思っていたのに、武官と思えるくらいの身長とガッシリした筋肉質の男だった。身長185センチほど。彼の夕日に染まる黒いシルエットがこちらを振り向いたとき、西日の暖かで穏やか、そして、切なさがいり混じった陽光が私の胸を貫いた。 彼の気持ちが伝わってきた。
「その思いが、2000年という時空を超えて、今まで伝わっているのだ。」何を学んだかと問われれば、このことがまず思い浮かぶ。それ以外ないだろう。